-季節物語-
承平元年(931)、平良文・平将門連合軍は、染谷川(群馬県)において平国香の 軍勢と激突した。敗色濃厚の連合軍の前に、突如上空から雲に乗って現れたりが、 十二、三歳の子どものように見える妙見大菩薩であった…。この平良文こそ、後に下総を拠点に繁栄を極めた千葉氏の祖となる武将である。
都から遠くはなれた関東平野に上総介として下った高望王(初代平氏)の息子平良文は、妙見菩薩への篤い信仰を母から受け継いだ武将であった。甥の平将門が領地の問題で叔父国香(良文の兄)ともめたとき、彼は将門に味方し、良文・将門連合軍は上野国花園村の染谷川で国香軍と激突した。
川をはさんで七日七夜にわたる戦いをくり広げた結果、良文・将門軍の敗色は濃厚、彼らを含めて七騎を残すのみとなってしまった。 良文は天を仰いで祈った。
「もしここに、御仏おわしますなら、なにとぞ我に力を貸したまえ……」
すると、突如として空の彼方に七色の雲がわき、ぐんぐんと近づいて来る。その雲に乗り金色の光に包まれた仏が良文の顔前に降り立ったのだ。その姿は、右手に剣をもった被髪の童子のように見えた。
仏は落ちていた矢を拾い七人に与え、天に 向かって射るように命じた。矢が放たれる と驚くべきことに、大地を揺るがすような雄叫び がとどろきわたり、対岸の国香軍をめがけ、幾千万の剣が雨のように降り注いだのである。国香の軍は蜘蛛の子を散らすように逃走し、合戦は良文将門軍の大勝利に終わった。
「いかなるお名前の神であらせられるか?」
良文がたずねると、
「我こそは妙見大菩薩なり。汝の母が汝を孕んで三月の頃、健やかに生まれた子は必ず妙見菩薩の氏子となるとかたく誓ったため、この染谷川の地に現れたのだ。これからは、汝と将門の家紋を月星(九曜の紋)とせよ」
菩薩はこう答えて、雲のかなたに消えていった。
戦に勝った七人は、この近くに座す神の名を土地の者にたずね、七星山息災寺の妙見菩薩であることを知った。
良文は七人の中から粟飯原文次郎をその寺の坊主として勤めさせて三年の後、寺に安置されていた七体の仏像の内(妙見の本地は薬師如来とも言われ、七仏薬師信仰が知られている)、染谷川に現れた印となる土が付着している妙見像(破軍薬師像)を寺から盗み出して、秩父大宮(現・秩父神社)に祀った。その後、 妙見像は鎌倉を経由し子孫の千葉氏が創建した北斗山金剛授寺(現・千葉神社)に鎮座した。北辰妙見と北斗への信仰は、千葉氏の繁栄にともない福島県相馬をはじめ全国各地へと広が っていった。これが、聖数七をちりばめた千葉 妙見の縁起である。