科学研究費補助金・基盤研究(A) 課題番号:19H00544
2019年度~2022年度(4年間)
考古学班-日本列島
* 北條芳隆(東海大学文学部)
瀬川拓郎(札幌大学地域創造学群)
辻田淳一郎(九州大学人文科学研究院)
考古学・人類学班-太平洋島嶼部
* 後藤 明(南山大学人文学部)
石村 智(東京文化財研究所無形文化遺産部)
文献史学班
保立道久(前東京大学史料編纂所)
細井浩志(活水女子大学国際文化学部)
* 田中禎昭(専修大学文学部)
天文学班
関口和寛(国立天文台光赤外研究部)
* 高田裕行(国立天文台天文情報センター)
吉田二美(千葉工業大学惑星探査研究センター)
第1回会議用資料
2019年6月29日・30日
於 国立天文台三鷹キャンパス
日本列島の考古資料・文献史料の分析と解釈に天文学の知見を適用すれば、信仰形態や祭儀神話の理解に飛躍的な進展が期待される。いかなる時代にあっても宗教観や宇宙観の形成に天体現象が深く作用したことは確実だからである。
ただし人文科学の研究領域に天文学の見知を適確に応用することには困難が伴い敷居が高い。解釈には恣意性が伴うとの批判もある。本研究はこの点の克服に焦点を絞り、天体現象と関わる歴史的諸事象に対する統合的分析法の構築を目指す。
この目的を実現するために、本研究では考古学・文献史学・天文学の各専門分野を横断する研究体制を組み、現地調査を併用しつつ各研究分野で蓄積されてきた従前の議論を点検・整理する。そのうえで天体現象に対する人間の認知構造の変遷と日本列島における特質の解明を目指す。併せて研究成果を社会にむけて還元する企画を立案し実施する。
人類史を多角的な視野に立脚して解明しようとする近年の研究動向の一環に認知学的考察と景観史的な把握がある。埋葬や祭祀遺跡など宗教的構造物の立地や方位に関する傾向を抽出し、同時代の生業や空間利用の特徴を考慮しつつ、背後の山並や眼前に広がる海原に対する宗教的意味づけを考察する手法である。近年の位置情報処理技術(G.P.S.)の発達と普及は、こうした検討作業を容易にしており、かつ高精度の分析作業が可能である。
ただし山並や海原の上方には空が広がっており、周辺景観には天体の運行、日食や月食などの天文現象、台風・雷電、火山噴火や降灰などに伴う大気現象なども含まれる。しかし考古学や文献史学が過去の天体運行や天文現象を把握することは容易でない。そのため現状の景観史的把握は、地上の景観に限定して考察される段階に止まっている。視野に入らなかった情景すなわちスカイスケープへの分析法を確立させることにより、初めて適確な景観史的把握や認知学的考察が可能になる。
このような問題状況は、日本列島の古代史関連史料の解釈にも該当する。神話の分析においては、天文現象を考慮しなかった津田左右吉以来の影響が強く、分析される場合も太陽に止まり、月や惑星・恒星および星座を含めた全体把握を欠く。さらに月に対する分析が遅れている点は重大な欠陥である。
そのため神話の本質をなす天地創造イメージ、天体観、国土観を包括的に復元する作業に至らない。スカイスケープの把握が的確であれば、抽象的な理解の域を超えることのなかった上記の課題に対しても具体的な考察が展開でき、陰陽道を中心に天文観察が行われる9世紀以降との接続が可能になる。
とはいえスカイスケープの要素を組み込む研究が低調であった要因は、過去の天体運行の再現が人文科学分野単独では困難だったことにある。これら自然界の法則を時系列に沿って組み込み再現する分析法の提示が求められてきた。
こうした状況のもと、北條芳隆は古墳の埋葬頭位や墳丘墓築造企画研究から導かれた基本認識を背景に弥生時代集落や前方後円墳の方位に関わる検討を進め、考古天文学の手法に則して遺跡が示す軸線と過去の太陽の運行との対応関係を検討した。現時点において、弥生時代については太陽の運行との関連性が強く、古墳時代以降は古代中国で構築された天の北極(北辰)に依拠する方位観が加わると理解している(北條2017b)。
なお埋葬頭位が年間の太陽の運行と関わる現象については北海道の縄文時代遺跡に実例があり、アイヌ民族の埋葬にも類似した習俗があったと指摘されている。この問題の取り扱いについては瀬川拓郎と意見交換を重ねてきた。また弥生・古墳時代の青銅鏡の一部に描かれた宇宙観と日本列島側での受容については辻田淳一郎との意見交換を始めている。なお太陽の影を用いた古代の正方位観測「表計」法については、実験を併用した検討の結果、古墳時代に導入された可能性は低く、日の出・日の入り方位や北天の諸星を直接視認する方法であったと理解している。
さらに火山など災害景観と古墳との関連性については、地殻災害の実態史料の解析を進める保立道久の著作『歴史のなかの大地動乱-奈良・平安の地震と天皇-』(2012,岩波新書)に学び、保立との議論を重ねた結果、日本列島の原始・古代社会では火山神・地震神が中核的な神格であったとの共通見解に達している。
文献史料研究では、六国史の天文異変記事について細井浩志が年代の復原を含む総合的な考察を加えている(細井2018a,bほか)。細井の暦日復元研究は、最新の天文学および考古天文学との照合によって達成されており、天文関連史料の年代観と信憑性の吟味に新たな途筋をつけた。さらにその成果を基礎に、天文異変記事の背景にある政治的性格やイデオロギー性に新知見をもたらした。古代における気象変動と社会情勢との相互作用を研究する田中禎昭も、史料の分析に天体・天文現象を適用することの重要性を痛感している(田中2015)。
他方、後藤明はオセアニアや東南アジア地域の考古学・人類学研究を推進し、人類の時空間認識における景観の問題や天文現象や天体運行の重要性に着目してきた。その結果、神話と天体運行は深い結びつきをもつことや、遠洋航海にあってスターナビゲーションが重要な意味をもち、それが神話の生成と不可分に結びつくことを解明した(後藤2015a,bほか)。実地研究では石村智とも協働し、過去の天体運行を把握するにあたっては関口和寛・高田裕行・吉田二美ら、天文学研究者からの支援・助言を受けてきた。なお高田は2009年以降、日本古来の星の名称や独自の星座文化(星群認知の個別類型)と、それらに付随する伝承・物語等の天文民俗学の包括的な研究を進めている。
上記のとおり北條・瀬川・辻田・(保立)・細井・田中は、主に陸地からの観察に主眼をおき、信仰や思想の問題として天体運行や火山との関係を検討し、あるいは関心を抱いてきた。一方の後藤・石村・関口・高田・吉田は、主に海洋からの観察に主眼をおき、航海術の側面から神話との関わりを検討してきた。双方の問題意識は共通するが、前者は太陽の運行に重点をおき、後者は星の運行に重点をおいて研究を展開してきた点において相互補完関係にある。そのため双方の研究成果や課題を突き合わせ、併せてこれまで日本列島での考古学的検討を保留してきた月や惑星の問題を共同で検討することで天体現象全体の把握が可能となり、陸地側と海洋側からの場景を総合した景観史的把握と認知的考察が実現する。
本研究が掲げる学術的問いは、日本列島の景観史において、天空の情景が時空間認知にいかに深く関わってきたかを問い直すことである。この問いと対峙し実態解明を進める。
本研究の目的は、天体景観を客観的な手法のもと歴史事象の解釈に組み込むことである。その際に考古学での事前手続きとして求められるのは、遺跡が示す諸状況を天体現象との関係において検討すること自体の妥当性を客観的な手法に沿って示すことである。
そのため本研究では、考古学的に意味のある軸線や方位を抽出することに徹し、同時に対象遺跡の立地状況、地性線の状況や周辺景観との関係を踏まえた点検作業を実施する。それを前提としたうえで過去の天体現象と天体運行を時系列に沿って再現し、個別遺跡の現地調査や史料の検討に活用するための系統立った分析法を準備する。天文学的事象の導入に対し本研究では、関口・高田・吉田を中核に、北條と後藤が個別に実践してきた方法を再整理する。高田は天体運行再現ソフトの開発と普及に関わった経験をもつため本課題の遂行に適材である。
つまり本研究では、北海道から南西諸島までの日本列島各地で展開した諸文化の代表的な祭儀施設や墳墓遺跡を対象に統一的な考古学的分析方法を適用し、可能な限りの悉皆性を確保する。併せて東南アジアやミクロネシア地域における後藤の神話論的な研究の成果と、日本の記紀神話や天体観の分析との突き合わせを行うことで、環太平洋地域を覆う広域的普遍性や古代中国側からの波状的影響を受けた日本列島の特殊性を考察する。中心は天文考古学の創成のための基礎作業であるが、それによって同時に天文学・考古学・文献史学の融合的研究の方途を探るものである。
上記の検討結果を基礎に、観測技術の向上に伴う数理的理解の深化と暦の形成プロセスを含めたスカイスケープとしての天文景観が、日本列島住民の時空間認識や自然観・宇宙観の基盤形成にいかに深い影響を与えたかを考察する。天文景観の利用法や対処法を通時的に押さえることは、景観史を広域的に検討するうえでも優れた普遍指標となりうるからである。
本研究の独自性は第一に上記の連携体制にある。各研究者が積み上げた固有の実績をふまえ、共通の方法に即した実地観測と評価を行うことで系統立った把握が可能になる。
第二に本研究では沖縄地域を結節点として南太平洋地域と日本列島全域を南北に結ぶ広域把握を目論む点にある。
第三に、北海道と沖縄地域を分析の柱に据えた研究を推進する点にある。両地域では天体と神話との関係について、考古資料・文献史料・伝承が豊富に遺存しており、相互の関係が明確に把握できる。すなわち天体に対する人類の認知構造を解明する上で最良の地域を選択し、そこから抽出される法則性を基礎に日本列島全域への適用を目論むものである。
第四に、文献史学との連携により、神話の原型をなしたと考えられる、スカイスケープを含めた周辺景観把握への途筋が明確化する点にある。
本研究では各研究者の専門領域に則して考古学・人類学班5名、文献史学班3名、天文学班3名からなる4班を組織する。前3班はそれぞれの課題について適宜後1班の助言を受けつつ研究を遂行し、その結果を後1班が評価したうえで所見を詰める。このような手順に則して共同研究を進める。各班に課される課題の内容と役割分担は以下のとおりである。
考古学・人類学班(北條・後藤・瀬川・辻田・石村)
文献史学班(細井・田中・保立)
天文学班(関口・高田・吉田)
以上の役割分担のもとで研究を遂行したのち、天文現象に対する人類の認知構造の普遍性と地域性の追求を全研究者の意見交換のもとで進める。さらに本研究の成果を社会に還元するためのシステム(可搬型プラネタリウム)を高田と吉田が構築し、関連する地方自治体等での上映を計画する。
本研究において解明しようとする課題のうち代表的なものは次の3項目である。
A)「日本列島における方位観の推移」仮説に対する批判的検討
既述のとおり北條は、縄文時代と弥生時代については太陽の運行との関連性が強く、古墳時代以降は古代中国で構築された天の北極(北辰)を志向した方位決定が加わると理解している。前者は東西方位重視、後者は南北方位重視だといえるが、前者は年間の日の出と日没方位に依拠するため、真東・真西からそれぞれ約60度の扇状を呈する。
縄文時代の埋葬頭位には真西から約60度の扇状に広がる事例があり、弥生時代の祭儀施設が夏至の日の出方位に軸を揃える事例や、祭儀施設からみた年間の日の出方位の指標となる嶺峰が聖域化され、かつ夏至と冬至を重視したと判断できる事例がある。沖縄地域においてもグスクの祭儀施設が冬至の日の出方位と揃う事例が複数例あり、祭礼の日取りも冬至であったとの記録がある。
これらを一括して提示した仮説であるが、時空間を隔てた関連づけには無理があり、かつ実状は多様で単純化は不可能だと予測している。つまり本研究では、北條仮説が適用できる事例とそうでない事例とを抽出する作業となり、むしろ妥当しない事例がもつ意味を絞り込むことになる。地域ごとに各様の民俗方位観が抽出されるものと予測され、火山など別の周辺景観と結びつく事例や、法則性自体が不明ないし検討不能な事例も多数抽出される可能性が高い。そうした方位観の有無に関わる現実の資料的状況を見据えることも課題である。
また後者についても歳差現象の影響を受けて北辰は直接視認できず、現在の北極星(鉤陳星)と北斗七星の主星である天枢星の周回軌道範囲を“みなし北辰”とした可能性が高い。近畿地方における古墳時代前期の埋葬頭位の状況が、こうした判断の根拠であり、ここから古墳時代における「子」の方角の実体は真北から25°程度の振れ幅をもつ扇状を呈したものと理解する。さらに古代中国では北斗七星の柄の部分が直立したタイミングを捉え、その方角を「子」とする方位決定法(北斗法)があり、日本列島における受容や改変の有無の点検が求められる。古墳時代の場合、その方位は真北から東に15度の振れであった。現時点において先の“みなし北辰”と北斗法を抱き合わせた方位決定であった可能性をもつ事例が埼玉県域と岡山県域で指摘されるが、この仮説についても妥当性や適用範囲の判定を行う。
本項目の主眼は、過去の方位観や方位決定法に引きつける形で、天体に対する人類の認知構造の普遍性と地域性の追求を進めることにある。
B)「月信仰基層論」の批判的検討
考古学や人類学の一部からは、縄文時代社会は死と再生の拠り所を月に求めたとの解釈が提示されている。折口信夫やネリー・ナウマンの論考に代表される月信仰基層論であり、文献史学・考古学・天文学からの点検が求められる。本仮説の主要な根拠は土偶などの祭祀遺物や万葉集など古謡に止まり、遺跡・遺構との関係は不明なため困難な課題であるが、「月」の問題を外すことの根拠もない。そのため考古学では遺構が示す方位の問題として本仮説を定位可能な事例の存否を追求する。また文献史学と天文学では、天から落下してくる物体としての「月の落水」問題を検討する。それは雷電などの大気光学現象、彗星、隕石、火山弾などの落下物の検討を含むが、倭国神話の中には山上の磐座を天から落下してきた「神宮」とする観念がある。これら関連する諸史料と諸事象を総合することにより、本仮説に対するアプローチの領域を拡張する。
C)天体現象を習俗や信仰に取り込む認知過程の整理
本項目については、高田が収集してきた日本の天文民俗誌・伝承・文芸・信仰等に関する諸資料の再整理を行う。天文民俗誌の代表格は七夕と観月であるが、その実態は極めて多様である。詩歌史料の分析からは、天文景観への着眼が時代ごとに異なる傾向が指摘される。さらに天文に関連する信仰には、妙見信仰のような広域的な潮流がある一方、降星伝説や星井戸、隕石を神体・本尊とする地域信仰など、様々な形態が全国に散在する。
これら多様性を帯び変容に富む各地・各時代の状況を比較・分析することを通じ、最大公約数として浮かび上がる宇宙観の歴史的変遷を明らかにする。加えて、その現代的実相を探るための一法として、全国のプラネタリウム館や観望会等を活用した実験心理学的なモニター調査を試行する。本項目の主眼は、天文景観との対話の総体でもある民俗的文化的集積の分析から、その特徴と傾向を把握し、いかなる要素や条件、相互作用のメカニズムが、現代日本人の基層的なメンタリティ形成に影響を与えてきたのかを考察することによって、天文景観への包括的認知モデルの構築を目指すことにある。それを雛形とすれば、普遍指標としての天文景観のメリットを活かし、アジア圏や他の世界諸地域との広域比較が可能になる。その実現に向けた目論みである。
本研究の着想は、これまで個別に実施してきた相互の研究姿勢や基本認識が深く共通するものであり、かつ直面する課題が一致することを北條と後藤の二名が相互確認したことに端を発する。2017年5月に後藤と北條の著作が同一出版社から相次いで刊行された(後藤2017b,北條2017b)。このことを機に両名は意見交換を進め、景観史研究に天文現象と天体運行の要素を導入することの意義と重要性を学界に向けて提言すべきとの認識で一致し、そのための共同研究を構築する必要性において合意した。この合意に沿って北條は考古学の瀬川と辻田、文献史学の田中と細井に支援を仰ぎ、後藤は考古学の石村、天文学の関口と高田と吉田に引き続き協力を求めた。併せて2017年11月から2018年3月にかけては、本研究に関わるニュースレターを5回発行し、考古天文学の情報提供と意見交換を重ねてきた。上記の全研究者は北條と後藤が合意した基本認識と課題を共有しており、領域横断的な研究体制の準備は整っている。
考古学における景観史の重要性については欧米諸国で既に受容されており、国際学会では独立したセッションが設けられることが多い。日本国内においても1990年代後半以降は自然環境と人間活動との相互作用が重視される傾向が高まり、人為景観の形成過程やその変遷を視野に収めた研究が増加しつつある。縄文・続縄文文化と擦文・アイヌ文化とを空間認識上の差異にもとづいて考察する瀬川の著作は、その最先端の研究である(瀬川2005ほか)。
古代史学においても、地殻災害の結果生成された災害景観が考古資料や神話の形成に深い影響を与えたとの見方が高まりつつあり、保立による近年の諸論考は、その代表的研究である(保立2012前掲)。ただしスカイスケープを景観史のなかに定位する状況には至らない。こうした点に関する先行研究は、縄文文化を対象としたものと琉球王朝期を対象とするものが主体を占める。上述の北條の著作(北條2017b)はそのような現状を克服する目的に沿って執筆された。
一方、英国のストーンヘンジを中心舞台として19世紀から模索され1970年代に確立をみた考古天文学は、現在の国際学会では既に効果的な分析手法として周知されている。世界各国での研究実績も着実に増加しつつある。この分野に懐疑的な姿勢をとり続けてきた日本国内の学界情勢とは著しい乖離が生じており、こうした現状に後藤は危機感を覚えている。後藤自身の実践例を含む世界各地における考古天文学の実践例をまとめた著作が出版された背景には、上記の事情がある(後藤2017b)。
天体景観の問題は文献史学の分野にも適用可能であるが、現時点では古代中国側からもたらされた外来の天文学的思想・知識体系の一方的受容であったと理解されることが優勢で、内在的あるいは内発的な要素が考慮されることはほとんどない。安倍氏が担った陰陽道の展開過程に収斂される傾向にあり、国文学側からの問題提起はあるものの議論は深まらない。この点において民俗学分野における事例採集は活発であり、天体景観を航海術や農事暦へ活用することに古来熱心であった日本列島在住民の姿が浮き彫りにされている。つまり天体景観の捉え方をめぐっては、文献史学と民俗学の間にも乖離がある。
本研究は、以上の学界動向を見据え、現状を克服する意図のもとで計画されている。
本研究に関連する研究代表者、分担研究者の研究活動実績は次のとおりである。
1.北條芳隆 2017a「古墳・火山・太陽」『第四紀研究』第56巻3号(p.97-110)
2.北條芳隆 2017b『古墳の方位と太陽』同成社(280頁)
3.北條芳隆 2017c「関東地方への前方後円(方)墳の波及を考える-東松山市高坂8号墳を素材として」『三角縁神獣鏡と3~4世紀の東松山(考古学リーダー26)』六一書房(p.43-66)
4.北條芳隆 2012「東の山と西の古墳」『考古学研究』第59巻4号(p.26-46)
5.後藤 明 2017a「人類初期の舟技術:環太平洋地域を中心に」『科学』第87巻9号(p.841-842) 6.後藤 明 2017b『天文の考古学』同成社(267頁)
7.瀬川拓郎 2017『縄文の思想』講談社現代新書(266頁)
8.瀬川拓郎 2005『アイヌ・エコシステムの考古学―異文化交流と自然利用からみたアイヌ社会成立史』 北海道出版企画センター(245頁)
9.辻田淳一郎 2018 『同型鏡と倭の五王の時代』,同成社(554頁)
10.辻田淳一郎 2014 「世界の中の古墳時代研究―比較考古学の観点から―」『考古学研究』第61巻3号 (p.15-28)
11.辻田淳一郎 2012 「古墳文化の多元性と一元性」一瀬和夫・福永伸哉・北條芳隆編『古墳時代の考古学7 内外の交流と時代の潮流』,同成社(p.44-56)
12.辻田淳一郎 2007 『鏡と初期ヤマト政権』,すいれん舎(435頁)
13.石村智 2017 『よみがえる古代の港:古地形を復元する』吉川弘文館
14.石村智 2012「日本古代港津研究序説」『文化財論叢IV』,奈良文化財研究所学報第92冊(p. 1023-1046)
15.田中禎昭 2015「古代戸籍にみる年齢人口分布と災害・飢饉・疫病」田中禎昭『日本古代の年齢集団と地域社会』吉川弘文館(p.38-76)
16.田中禎昭 2015「武蔵国豊島郡統一条里の復原 」関東条里研究会編『関東条里の研究』東京堂出版 (p.170-181)
17.細井浩志 2018a「日本書紀の暦日について―雄略紀を中心に」『日本書紀の誕生―編纂と受容の歴史』八木書店(p.205-238)
18.細井浩志 2018b「陰陽道と東アジア―国立天文台の変質としての陰陽道の形成」『古代日本と興亡の東アジア』竹林舎(p.229-259)
19.細井浩志 2014『日本史を学ぶための<古代の暦>入門』吉川弘文館)(252頁)
20.Furusawa, Hisanori, Nobunari Kashikawa, Masakazu A. R. Kobayashi, James S. Dunlop, Kazuhiro Shimasaku, Tadafumi Takata, Kazuhiro Sekiguchi, et al.2016.”A New Constraint on the Lyα Fraction of Uv Very Bright Galaxies at Redshift 7.” The Astrophysical Journal 822 (May1,2016). ( Issue 1, article id. 46, 13pp.)
21.Furusawa, Hisanori, George Kosugi, Masayuki Akiyama, Tadafumi Takata, Kazuhiro Sekiguchi, Ichi Tanaka, Ikuru Iwata, et al. 2008.”The Subaru/Xmm-Newton Deep Survey (Sxds). Ii. Optical Imaging and Photometric Catalogs.” The Astrophysical Journal Supplement Series 176 (May 1, 2008). (p.1-18)
22.高田裕行 2011 日本郵便発行の特殊切手『星座シリーズ第1集』の企画協力(和名星座の切手組込提案・制作・監修、以後2013年まで4集:発行部数1億5000万枚)
23.高田裕行 2009「世界天文年2009『星空ブックフェアー』紹介『宇宙読み(そらよみ)書房』へようこそ!」『天文月報』第103巻1号(p.61-63)
24.吉田二美, 海部宣男「「アジアの星物語」が本になりました!」 天文月報2014年8月号, (437頁) 25. F. Yoshida, The Project “Stars of Asia”: Asian Myths and Legends of Stars and the Universe. Proceedings of the 8th East Asian Meeting on Astronomy Symposium, (p.86-93)