本研究の背景

 人類史を多角的な視野に立脚して解明しようとする近年の研究動向の一環に認知学的考察と景観史的な把握がある。埋葬や祭祀遺跡など宗教的構造物の立地や方位に関する傾向を抽出し、同時代の生業や空間利用の特徴を考慮しつつ、背後の山並や眼前に広がる海原に対する宗教的意味づけを考察する手法である。近年の位置情報処理技術(G.P.S)の発達と普及は、こうした検討作業を容易にしており、かつ高精度の分析作業が可能である。

 ただし山並や海原の上方には空が広がっており、周辺景観には天体の運行、日食や月食などの天文現象、台風・雷電、火山噴火や降灰などに伴う大気現象なども含まれる。しかし考古学や文献史学が過去の天体運行や天文現象を把握することは容易でない。そのため現状の景観史的把握は、地上の景観に限定して考察される段階に止まっている。これまで視野に入らなかった情景すなわちスカイスケープへの分析法を確立させることにより、初めて適確な景観史的把握や認知学的考察が可能になる。

 このような問題状況は、日本列島の古代史関連史料の解釈にも該当する。神話の分析においては、天文現象を考慮しなかった津田左右吉以来の影響が強く、分析される場合も太陽に止まり、月や惑星・恒星および星座を含めた全体把握を欠く。さらに月に対する分析が遅れている点は重大な欠陥である。そのため神話の本質をなす天地創造イメージ、天体観、国土観を包括的に復元する作業に至らない。スカイスケープの把握が的確であれば、抽象的な理解の域を超えることのなかった上記の課題に対しても具体的な考察が展開でき、陰陽道を中心に天文観察が行われる9世紀以降との接続が可能になる。

 とはいえスカイスケープの要素を組み込む研究が低調であった要因は、過去の天体運行の再現が人文科学分野単独では困難だったことにある。これら自然界の法則を時系列に沿って組み込み再現する分析法の提示が求められてきた。

 こうした状況のもと、北條芳隆は古墳の埋葬頭位や墳丘墓築造企画研究から導かれた基本認識を背景に弥生時代集落や前方後円墳の方位に関わる検討を進め、考古天文学の手法に則して遺跡が示す軸線と過去の太陽の運行との対応関係を検討した。現時点において、弥生時代については太陽の運行との関連性が強く、古墳時代以降は古代中国で構築された天の北極(北辰)に依拠する方位観が加わると理解している(北條2017b)。なお埋葬頭位が年間の太陽の運行と関わる現象については北海道の縄文時代遺跡に実例があり、アイヌ民族の埋葬にも類似した習俗があったと指摘されている。この問題の取り扱いについては瀬川拓郎と意見交換を重ねてきた。また弥生・古墳時代の青銅鏡の一部に描かれた宇宙観と日本列島側での受容については辻田淳一郎との意見交換を始めている。なお太陽の影を用いた古代の正方位観測「表計」法については、実験を併用した検討の結果、古墳時代に導入された可能性は低く、日の出・日の入り方位や北天の諸星を直接視認する方法であったと理解している。

 さらに火山など災害景観と古墳との関連性については、地殻災害の実態史料の解析を進める保立道久の著作『歴史のなかの大地動乱−奈良・平安の地震と天皇−』(2012,岩波新書)に学び、保立との議論を重ねた結果、日本列島の原始・古代社会では火山神・地震神が中核的な神格であったとの共通見解に達している。

 文献史料研究では、六国史の天文異変記事について細井浩志が年代の復原を含む総合的な考察を加えている(細井2018a,bほか)。細井の暦日復元研究は、最新の天文学および考古天文学との照合によって達成されており、天文関連史料の年代観と信憑性の吟味に新たな途筋をつけた。さらにその成果を基礎に、天文異変記事の背景にある政治的性格やイデオロギー性に新知見をもたらした。古代における気象変動と社会情勢との相互作用を研究する田中禎昭も、史料の分析に天体・天文現象を適用することの重要性を痛感している(田中2015)。

 他方、後藤明はオセアニアや東南アジア地域の考古学・人類学研究を推進し、人類の時空間認識における景観の問題や天文現象や天体運行の重要性に着目してきた。その結果、神話と天体運行は深い結びつきをもつことや、遠洋航海にあってスターナビゲーションが重要な意味をもち、それが神話の生成と不可分に結びつくことを解明した(後藤2015a,bほか)。実地研究では石村智とも協働し、過去の天体運行を把握するにあたっては関口和寛・高田裕行・吉田二美ら、天文学研究者からの支援・助言を受けてきた。なお高田は2009年以降、日本古来の星の名称や独自の星座文化(星群認知の個別類型)と、それらに付随する伝承・物語等の天文民俗学の包括的な研究を進めている。

 上記のとおり北條・瀬川・辻田・(保立)・細井・田中は、主に陸地からの観察に主眼をおき、信仰や思想の問題として天体運行や火山との関係を検討し、あるいは関心を抱いてきた。一方の後藤・石村・関口・高田・吉田は、主に海洋からの観察に主眼をおき、航海術の側面から神話との関わりを検討してきた。双方の問題意識は共通するが、前者は太陽の運行に重点をおき、後者は星の運行に重点をおいて研究を展開してきた点において相互補完関係にある。そのため双方の研究成果や課題を突き合わせ、併せてこれまで日本列島での考古学的検討を保留してきた月や惑星の問題を共同で検討することで天体現象全体の把握が可能となり、陸地側と海洋側からの場景を総合した景観史的把握と認知的考察が実現する。

 本研究が掲げる学術的問いは、日本列島の景観史において、天空の情景が時空間認知にいかに深く関わってきたかを問い直すことである。この問いと対峙し実態解明を進める。